立憲民主党参議院議員の横沢高徳(よこさわたかのり)議員。
元モトクロス選手で事故で脊髄損傷になったことから車椅子生活になり、その後バンクーバーパラリンピックでアルペンスキーの日本代表選手にもなった過去を持っているそうです。
現在も車椅子生活でありながハンディキャップを物ともせずに国会議員として活動しています。
そんな横沢高徳議員の経歴や学歴について調査してみました。
そこで、今回は
- 横沢高徳(よこさわたかのり)のプロフィール
- 横沢高徳の高校や大学の学歴は?
- 横沢高徳の経歴wiki
というテーマに沿ってお届けしていきたいと思います!
それでは、早速本題に入りましょう!
横沢高徳(よこさわたかのり)のプロフィール

横沢高徳議員の簡単なプロフィールがこちら。
名前 | 横沢高徳(よこさわ・たかのり) |
生年月日 | 1972年3月6日 |
年齢 | 49歳 |
出生地 | 岩手県紫波郡矢巾町 |
所属政党 | 立憲民主党 |
横沢高徳議員の参議院における役職一覧がこちら。(2021年6月4日現在)
- 文教科学委員会
- 議院運営委員会
- 東日本大震災復興特別委員会
- 国際経済・外交に関する調査会
横沢高徳議員の政治理念は以下のものです。
「強くやさしい日本」をつくりたい。私が政治を志す第一の理由です。
みなさんの生活に強さとやさしさを、そして真の豊かな日本を、ここ岩手から築いていきたい。
引用:https://yokosawa.net/
車椅子いうハンディキャップを抱えながら健常者と車椅子両方の視点を持ち合わせて、政治へ取り組むという姿勢のようです。
横沢高徳の高校や大学の学歴は?
横沢高徳議員の高校や大学は一体どこなのでしょうか?
横沢高徳議員の公開されている学歴がこちら!
- 小学校 矢巾町立不動小学校
- 中学校 矢巾町立矢巾中学校
- 高校 岩手県立盛岡工業高等学校
小学校中学校ともに地元の岩手県紫波郡矢巾町にある学校に通っていたようですね。
高校は岩手県盛岡にある県立工業高校に進学。
通称『盛工』(もりこう)の通称で呼ばれているそうです。

ちなみに偏差値は46〜47だそうです。
⬇️岩手県立盛岡工業高校の場所はこちら。
横沢高徳の経歴wiki
横沢高徳議員の高校卒業後の経歴をwiki風にまとめてみました。
それがこちら。
1990年 高校卒業した年にテストライダーとして『スズキ』に就職
1995年 モトクロス国際A級ライセンスを取得し、全日本モトクロス選手権などに参戦
1997年 練習中の事故で脊髄を損傷し車椅子生活に
1999年 リハビリ中にチェアスキーに出会い、国内の各大会で上位入賞
2010年 バンクーバーパラリンピックにアルペンスキー日本代表選手として出場
2014年 ソチ・パラリンピックNHK解説者
2019年7月 第25回参議院議員選挙 岩手選挙区初当選(無所属)、国民民主党に入党
2020年9月 立憲民主党入党
高校卒業した横沢高徳議員はテストライダーとしてスズキに就職した後、モトクロスの国際A級ライセンスを取得。

ちなみに横沢高徳息子さんもモトクロスライダーとして活躍していたようです。
このモトクロスの練習中に事故を起こしてしまい、脊髄を損傷し車椅子生活に。

絶望の中リハビリ生活をしている時にチェアスキーに出会い、2010年には念願のパラリンピックにも出場されました。

2019年7月には国民民主党と立憲民主党の推薦を経て、第25回参議院議員選挙で岩手選挙区で無所属で立候補。

自民党現職だった平野達男議員を破って初当選しました。
2020年9月には横沢高徳議員は立憲民主党入党。

現在は立憲民主党参議院議員として、文教科学委員会、 議院運営委員会、 東日本大震災復興特別委員会、 国際経済・外交に関する調査会の役職についています。
さらには障害者差別解消法改正などといった障害者目線での活動にも力を入れ活躍されています。
まとめ
今回は、横沢高徳(よこさわたかのり)の経歴wikiプロフ|高校や大学の学歴は?というテーマでご紹介していきました!
高校は地元岩手県にある岩手県立盛岡工業高等学校に進学。
元モトクロス選手で練習中の事故により脊髄損傷で車椅子生活になった横沢高徳議員。
リハビリ中にチェアスキー出会い、バンクーバーパラリンピックには日本代表選手としても出場経験があります。
車椅子の視点を活かして障害者に対する政策にも力を入れている横沢高徳議員の今後に期待していきたいですね!